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ナンナン南画展

最終更新日:2015年3月1日

 中国の明時代に「北宗画」と「南宗画」という思想が出来ました。「北宗画」は主に職人画家が描いたもの、対して「南宗画」は士大夫(したいふ)とよばれ、教養があり支配階級の身分にある人が描いた絵を指します。

 日本で江戸中期に興った「南画」とは、中国の「南宗画」に日本独自の自然観や情緒などを盛り込んだ絵のことをいいます。
 南画は、日本に入り、画家や文化人たちにより日本的な自然観や情趣をとりいれて展開されていきました。そして、その画風は近現代の画家たちにも多大な影響を与えました。

今回の展示では、館蔵品の中から、前述したような南画家や南画の手法を取り入れた諸家の作品を紹介します。

豆知識1―日本の「南画」

 南画は、停滞した狩野派への不満を契機にして日本で興ったとされていますが、その背景には中国文化に対する憧れや情念がうかがえます。
 とくに幕府が儒学を採用したことによる漢学の隆盛がもとになり、南画勃興の土壌ができました。南画は江戸時代中期に日本で興りましたが、初期の南画家の多くは、武士や儒学者達でした。初期の代表的な画家に祗園南海(ぎおんなんかい)、柳沢淇園(やなぎさわきえん)、等がいますが、その後池大雅(いけのたいが)、与謝蕪村(よさのぶそん)等の文雅に通じた町人階級の職業画家が出て、南画に日本的な自然観や情趣を取り入れて大成されました。
 また、この頃には関西をはじめ全国にまで広まり、多様な展開をみせました。

豆知識2―「つくね芋山水」と呼ばれた南画

 池大雅や与謝蕪村に続き、江戸後期から幕末には浦上玉堂、桑山玉州、岡田米山人、野呂介石、田能村竹田、江戸では谷文晁、渡辺華山などの優れた南画家が輩出されました。
 一方で多くの素封家たちが文化や芸術に傾倒し、南画という徒弟制度のない自由な創作の世界を楽しむようにもなりました。これにより素人画家による作品が氾濫し、趣の異なった作品が多くなりました。東洋の美術史家として来日したお雇い外国人のフェノロサが龍池会の講演で南画を非難したことから、「つくね芋山水」或いは「すりこぎの松」などと評されたことは有名です。
 しかし、このような不興を買いながらも、南画の近代化に取り組む美術家もあらわれ、南画は消滅せずに長らく描き続けられてきました。その背景には、南画のもつ魅力が一般に広く浸透し、人々から愛されていたからではないでしょうか。

展示目録
  資料名 筆者・作者 数量 様式 時代
1 奥の細道画巻(複製逸翁美術館本) 与謝 蕪村 1巻 紙本着色 江戸中期
2 漁父図 松村 呉春 1幅 絹本淡彩 江戸中~後期
3 梅渓早行図・松山晩前図 塩川 文麟 2幅 絹本着色
4 林和靖図 中林 竹渓 2幅 絹本着色 江戸後期
5 東方朔図・松鶴図・梅亀図 中林 竹渓 3幅 絹本着色 江戸後期
6 花鳥図 山本梅逸 1幅 絹本淡彩 江戸後期
7 瓢風吹衣図 森 寛斎 1幅 紙本淡彩 江戸後期~近代(明治)
8 巫峡牽舟図 内海 吉堂 1幅 絹本着色 近代(明治~大正)
9 桑林少婦図 内海 吉堂 1幅 絹本着色
10 巴陽峡図 内海 吉堂 1幅 絹本着色
11 春帆細雨図・秋霽登高図六曲屏風 内海吉堂 1双 紙本金地墨画
12 僊家空外図 山田 介堂 1幅 絹本着色
13 月夜弾琴図 河村 虹外 1幅 絹本着色 近現代(明治・大正)
14 雪景独釣図 河村 虹外 1幅 紙本墨画
15 渓山深秀図 大和田自適 1幅 紙本墨画
16 江邨夏日図 橋本 関雪 1幅 絹本着色 近現代(大正・昭和)

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電話番号:0770-25-7033
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