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みんなの文化財 第33~34回  初午祭り(1)(2)

最終更新日:2015年3月1日

  • 第33回 初午祭り(1)
  • 第34回 初午祭り(2)

■黒河川沿いの最も上流になる山地区に稲荷神社があります。この山区稲荷神社の祭りは毎年初午(旧暦2月の最初の午の日)の日に行われるので「初午祭り」が通称になっていますが、本来は『敦賀郡神社誌』にも記されているように「御供(ごく)祭」の名で呼ばれていました。現在は初午の日前後の日曜日に行われています。
稲荷神社の宮座は二十人衆と呼ばれる年長者20人を頂点として組織されています。厄年の者やこの宮座の代表として8人が選ばれ、神事に当たってゴクカキと呼ばれる役割を担当します。またこの8人の食事等の世話や、神事の世話をするアサドキ(朝時)衆と呼ばれる役割があります。これにヒトミゴクと称される少女と、腰元と称される付き添いの女性が祭りに登場します。
前日から社務所に宿泊していたゴクカキは早朝に神社脇の水路で水垢離を行います。ゴクカキが拝殿に控えていると呼び太鼓が鳴らされ、水垢離場(みずこり)に出てきて水に入りますが、これを計3回行います。その後ゴクカキは拝殿で法被(はっぴ)に脚半(きゃはん)、緑の帯、赤い鉢巻きに白緒の草履という装束を整える、正面の鳥居にヒトミゴクを迎えに出ます。
鳥居の脇に置かれた太鼓の上に晴れ着姿のヒトミゴクを乗せ、古来より伝わるという綿帽子を被せ、着物を着せかけます。これはかつてのヒトミゴクの決まった衣装であったのかもしれませんが、すぐに脱がせて、少女は太鼓から下ろされます。

■ひとこと解説
『水垢離』
水垢離は神聖な祭りに先立って水を浴び、身を慎み清めることです。
現在でも祭りに先立って重要な役割を担う人が水をかぶったり、海に入ったりして水垢離を行なうことはよくあります。
神社の入り口にはたいてい御手洗がありますが、ここで手を洗ったり口をすすいだりすることは、水垢離の簡略化した形なのです。

■一行は鳥居の前から神社の本殿まで行列します。ゴクカキの内2人が道開きと称して先頭に立ち、次に金櫃(ひつ)と呼ばれる御供の入った大きな曲げ物の櫃を4人が持ちます。この金櫃の下をヒトミゴクが歩き、腰元が付き添います。この後にゴクカキの残りの2人が続き、これは後押しと呼ばれます。その後に神職、最後に素襖(すおう)に烏帽子(えぼし)をつけ、笏を手にした二十人衆が続きます。一行はゆっくり進み、本殿に入って神事がとり行われます。
神事の後、ゴクカキは御供であった糯米と豆を蒸した「赤蒸し」を別に用意していたものと混ぜておにぎりに作り、それを入れた二つの櫃を担いで本殿から下りてきて、集まった区民に配ります。
さてこの神事は、伝説によれば地区を荒らしたヒヒに人身御供として若い娘を奉納していたが、そのヒヒを旅の武芸者が退治したという故事にちなんで行われるようになったと伝えられています。一方敦賀市内や若狭地方の他の祭りにも、御供の下や近くを歩く少女の役割が残っており、御供を運ぶ役目を担っていたのではないかと考えられています。初午祭りのヒトミゴクの少女も、かつては同様の役割を担っていたことが考えられます。
ともあれ、「初午祭り」は人々の自然や神に対する畏敬、豊かな実りに対する素朴で真摯な願いを感じさせる内容をよく残しており、敦賀市指定の無形民俗文化財となっています。

■ひとこと解説
『二十人衆』
二十人衆と呼ばれる稲荷神社の宮座の長老は、順に一老から二十老までの席次があります。これは年齢順ではなく宮座入りした順番です。
稲荷神社の宮座には、烏帽子着を経て加入することが出来ました。烏帽子着はお祭りの際などに一老から盃を受けることを言います。これは神社の氏子組織だけでなく、村内の一員としての資格でもありました。
こうした古い年齢階梯(かいてい)的な村落秩序の名残がこの初午祭りに残されているのです。

情報発信元

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