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みんなの文化財 第29~30回 敦賀西町の綱引き(1)(2)

最終更新日:2015年3月1日

  • 第29回 敦賀西町の綱引き(1)
  • 第30回 敦賀西町の綱引き(2)

■敦賀の年頭の風物詩が「夷子大黒の綱引き」としても知られている「敦賀西町の綱引き」です。長らく小正月の1月15日に行われてきましたが、休日の改正により1月の第3日曜日に行われるようになりました。
商店や家屋に挟まれた細い路地に大勢の人々が集い、夷子方と大黒方に分かれて長さ50メートル余り、太さ25cmほどの太綱を引き合うのです。
綱引きは年占の神事として続いてきました。
綱引きに先立って会館(講宿)で神事が行われ、厄年の男性二人が衣装と面をつけて夷子と大黒に扮します。衣装は幕末にまとめられた『敦賀志』に「唐織(からおり)蝦夷錦(えぞにしき)茶色の唐繻子(からしゅす)に鳳凰(ほうおう)の縫、何れも美々しく又古雅なり」とも記された豪華な物ですが、近年傷みが目立つようになったため新調され、平成14年の綱引きの際に披露されました。衣装のほかに、大黒には打ち出の小槌、夷子には大きな鯛があり、これは紋付袴の役員が代わりに持ちます。
面は明治時代に仮面が新調され綱引きの際はそちらを使用しますが、古くから伝わる本面には慶長2年(1597)の銘が記されています。また大黒が手にする打ち出の小槌の柄にも延宝7年(1679)の銘があり、綱引きの成立の古さを物語っています。

■ひとこと解説
『やくもの』
綱引きの前、足場に吊り上げられた太綱には吊るされた飾りをこう呼んでいます。
夷子方には藁で作った海老・タコ・タイ・腰蓑、大黒方には米俵や打ち出の小槌、蔵のカギなどが飾られています。いわば縁起物で、なかなか大きくて立派なものですから、綱引きの前に綱から外してしまうということです。

■男性二人が扮した夷子神と大黒神は、無地の扇子と細竹の杖を持った役員に先導され、町内を練り歩きます。この時「夷子勝った、大黒勝った、エイヤ、エイヤ」と掛け声が掛けられます。次に縁起物を結んだ竹の左義長が倒され、見物客が縁起物を奪い合います。
そして2時ごろ、吊り上げられていた太綱が投げ下ろされ、夷子方は漁業関係者、大黒方は農業関係者、これに見物客なども綱に取り付き、力いっぱい引き合います。夷子方が勝てばその年は豊漁、大黒方が勝てば豊作だといいわれています。
かつては夷子方が勝てば漁師仲間が綱を引きずりながら栄新町の天満神社まで戦勝報告に、また大黒方が勝てば農家の人々が三島の八幡神社へ豊作祈願に、同じく綱を引きずって向かったそうです。天満神社は川東(児屋川以東)の漁師の尊崇厚く、八幡神社は川西(旧笙ノ川以西)に鎮座し、農村地帯を控えていました。
西町は現在相生町に編入されています。西町は敦賀三十六町の中でも古いまちの一つです。江戸時代には魚市場が開かれ、魚以外にも野菜や雑穀なども商われて、北國の都とも謳われた敦賀町内の食料需要を支えるようになりました。綱引きはこの市場に関わる農業・漁業関係者や商業関係者の中から発生した行事とも考えられます。おそらく現在と変わらず、主催者も見物客も楽しみながら参加することが出来たのではないでしょうか。
400年以上続くと言われるこの行事は国の重要無形民俗文化財に指定されています。

■ひとこと解説
『綱引きの勝敗』
夷子方が勝てば豊漁、大黒方が勝てば豊作。
とはいえ、負けたからといって不作不良だなどと心配する向きはありません。厳粛な年占というよりは、綱引き自体が年頭にふさわしい縁起のよい行事なのです。

ご案内

場所 相生町(旧西町通り)

地図

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関連リンク

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情報発信元

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ファックス:0770-23-6944

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