2023つるがきらめき旅日和
13/28

• • • • • 國々の八景更に気比の月月清し遊行のもてる砂の上ふるき名の角鹿や恋し秋の月月いつこ鐘ハ沈る海の底名月や北國日和定なき氣比神宮芭蕉翁月五句戦国武将集結の地信長・秀吉家康・光秀13国指定名勝おくのほそ道の風景地けいの明神(氣比神宮境内)松尾芭蕉は奥州から北陸を巡る旅の中で敦賀に訪れました。敦賀滞在中に氣比神宮や金ヶ崎、金前寺、色の浜、本隆寺などを訪ね歩きました。氣比神宮へは夜、月明かりの中を参拝しました。住問こちらもcheck!敦賀市曙町11-680770-22-0794(氣比神宮)国指定史跡平安時代から伝わる芋粥『今昔物語』には、かつて敦賀に住んでいた平安時代の武将・藤原利仁が、都から招待した貴族に芋粥をごちそうしたと記されています。話の舞台となった天満神社には、藤原利仁が祀られており将軍塚もあります。また「芋粥」は、芥川龍之介の短編小説の題名にもなっています。住国指定史跡ゆかりの名所を巡ります。敦賀市金ケ崎町1-40770-22-0938(金崎宮社務所)敦賀市刀根敦賀市公文名62-34敦賀市松島町名勝「おくのほそ道の風景地」指定 についてくわしくはこちら (市ホームページ)▶金ヶ崎城跡織田信長は、越前朝倉氏攻めで金ヶ崎城を接収しましたが、北近江の浅井氏の裏切りにより撤退を強いられます。この決死の撤退戦は「金ヶ崎の退き口」として有名で、信長をはじめ豊臣秀吉・徳川家康・明智光秀が勢ぞろいした地としても知られています。住問玄蕃尾城(内中尾山城)跡天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家が本陣を置いた山城です。戦国時代の山城を知る好例として、「続日本100名城」に選定されるなど高い評価を得ています。住武田耕雲斎等の墓元治元年(1864)尊王攘夷の旗を掲げ京を目指した武田耕雲斎を総大将とする水戸天狗党は、敦賀の地で幕府軍に降伏しました。その翌年、耕雲斎をはじめ藤田小四郎ら353名がここ松原の来迎寺野で斬罪に処されました。小高い塚の上で松の緑に囲まれた墓碑は、幕末の悲劇を今に伝えています。住難関突破守「金ヶ崎の退き口」の際にお市の方が、両端を紐で結んだ小豆袋を兄・織田信長に届けたことで挟み撃ちの危険を知らせたという逸話にちなみ、金崎宮の「難関突破守」には、厳しい状況にあっても乗り越えれば未来があるという教訓がこめられています。めぐる旅

元のページ  ../index.html#13

このブックを見る