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眼鏡橋(穴田暗渠)が新しく市指定文化財に指定されました。(令和6年2月14日)

最終更新日:2024年5月16日

 令和6年2月14日に鉄輪町2丁目にある眼鏡橋(穴田暗渠)が有形文化財(建造物)として敦賀市指定文化財の指定を受けました。
 眼鏡橋(穴田暗渠)は明治15年(1882年)に開業した旧敦賀線の鉄道暗渠です。日本海と京都、大阪を結ぶ交通の要衝であった当時の敦賀の社会、経済情勢を示す極めて貴重なものとして、敦賀市指定文化財に指定されました。

 眼鏡橋(穴田暗渠)について

 眼鏡橋(穴田暗渠)は、明治時代に金ヶ崎停車場と長浜停車場を結んだ旧敦賀線の鉄道暗渠です。
 旧敦賀線は明治15年(1882年)に開業した敦賀長浜間の路線を指します。
 開業当時の鉄道路線は、この眼鏡橋がある位置を通り、今の国道8号線を北に向かい、氣比神宮の西側にあった旧敦賀駅を越えて、金ヶ崎停車場が終点になっていました。明治29年(1896年)には、北陸線が福井まで開通し、その後金沢、富山と延びたことで、今まで日本海を船で運ばれていた国内の物資は、鉄道輸送に変わっていきました。
 明治43年(1910年)に敦賀駅が現在の位置に移転し、路線変更したことににより、眼鏡橋は鉄道橋梁としての役目を終えました。路線の廃止により、軌道部分は民間に払い下げられましたが、暗渠である水路部分は公共水路として敦賀市の管理、所有となり現在に至っています。
 現在は石組みの2本の水路とレンガのアーチ部分だけが残っていますが、完成当時はこの上にさらに石積みをして線路を敷設したと考えられます。

 明治15年に開通した旧敦賀線は、明治新政府が最初に鉄道敷設を計画した全国で三箇所の内の一つであり、京都・大阪と日本海を結ぶための物資輸送路として重要な役割を果たしました。琵琶湖と敦賀港を結ぶ鉄道の一部として当時の社会、経済情勢を示す遺構です。
 また、明治期の鉄道構造物の規格や材質、工法を残す資料として、同じく旧敦賀線の小刀根トンネル(敦賀市指定文化財)・旧敦賀港駅ランプ小屋(敦賀市指定文化財)とともに貴重なものとなっています。

当時の路線図
開業当時の路線図

文化財の基本情報

指定名称

眼鏡橋(穴田暗渠) 1基

所在地及び管理者

敦賀市鉄輪町2丁目 敦賀市

時代

明治14年(1881年)

構造

煉瓦(レンガ)アーチ(二連)

規模

幅 2.68メートル(煉瓦部分)
全長8.75メートル

情報発信元

文化振興課

敦賀市 中央町2丁目1番1号
電話:0770-22-8152
ファックス:0770-23-6944

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