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あゆみ

ページID:0002766 更新日:2026年2月25日更新 印刷ページ表示

花ショウブ園の画像水島の画像とうろう流しと大花火大会の画像敦賀祭り 山車巡行の画像西福寺の画像冬の松原の画像

敦賀の地名の由来にはいくつかありますが、『日本書紀』には、崇神天皇の時代に朝鮮半島から「都怒我阿羅斯等」(ツヌガアラシト)がこの地に渡来したことにちなんで「角鹿」と呼ばれるようになったとあります。必ずしも史実かどうかはわかりませんが、古くからの大陸との関わりを思わせる、興味深い説話です。
和銅6年(713年)に「敦賀」という字に改められました。

天然の良港を擁する敦賀は、古代から朝鮮半島や中国大陸との交流が盛んで、古代三関の一つ「愛発の関」や、渤海国からの使節を迎えるための「松原客館」が置かれるなど、海陸交通の要地でした。中世から近世にかけては都と北国を結ぶ物資の中継地となっていました。

近代になると、交通の要衝である敦賀には、日本海側で最初に鉄道が開通します。 明治32年(1899年)に開港指定されると、ロシア・朝鮮半島・中国といった対岸諸国と定期航路が開設されるなど、日本海側の主要な国際港湾都市として発展していきました。

昭和12年に「敦賀町」と「松原村」が合併して市制を施行、昭和30年に「愛発村」「粟野村」「東郷村」「中郷村」「東浦村」の近隣5か村を編入合併し、現在の「敦賀市」が出来上がりました。

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