みんなの文化財 第31~32回 だのせ祭り(1)(2)
最終更新日:2015年3月1日
だのせ祭り(1)
だのせ祭り(2)
- 第31回 だのせ祭り(1)
- 第32回 だのせ祭り(2)
■野坂神社の年頭の神事として、地区の人々により長く行われてきたのが「だのせ祭り」です。
だのせ祭りは田遊びの一種で、太鼓を中心にして踊る様子がよく紹介されていますが、その踊りの前に行われる万歳楽という芸能も含めて、平成六年に福井県の無形民俗文化財に指定されています。
田遊びとは、稲作の理想的な作業の様子を模擬的に演ずる予祝行事です。田遊びは正月の行事として行われることが多く、野坂区でも旧暦の正月8日に行われてきましたが、現在はその日に近い日曜日に行われています(平成15年は2月9日)。
「だのせ」の踊りでは田打ちから田植えまでの農作業の様子を、歌にあわせて演じます。この歌の章句にあわせて「ダアノセノセェノヤ」というような合いの手を入れることから、この呼び名があるのです。
当日はだのせ祭りに先立つ午前中に、神事と万歳楽,頭渡しが行われます。この際、六人集と呼ばれる区内の還暦を過ぎた男性から選ばれた宮年寄りが神職の補佐を受け持ちます。神事ではだのせにつかわれるチサの棒や、野坂独特の神饌である大小のひし形に整えられた餅が神前に上げられます。
万歳楽は六人集が三人ずつ向かい合って座り、上座から順番に白木の棒に花びらを削りだした「祝い棒」を手にして立ち上がり、振り下ろしながら「万歳楽」と唱え、順次手渡していくと言う内容です。
祭りにはまた、自らの田でもち米を育て、神饌となる鏡餅および菱餅を整える「頭屋」という大切な役割があります。頭渡しはこの頭屋の交代の儀式で、今年の頭屋と来年の頭屋が鏡餅の上段と下段を分け合います。
ひとこと解説
『祝い棒』
「万歳楽」でとり物として打ち振られる祝い棒は、花を表現していると考えられています。
野坂の場合はカツキ、ヌルデの木で、表面を薄く細く、その根元を残して削りだして、上下二段二組の花弁を表現します。ケズリバナなどとも呼ばれるこうした花をかたどった作り物は、全国各地で正月や小正月に作られることが多く、様々な形や呼び名があります。新しい年の始め、自然の生命力の象徴とも言える花を象った作り物に、人々はどんな願いを込めたのでしょうか。
■午後1時を過ぎると、野坂山のふもとにはだのせ踊りの始まりを告げる太鼓が鳴り響きます。踊りの会場は神社脇の公会堂に移ります。
踊りのほうは、現在保存会が組織されて地区の子供たちへの伝承も図られており、子供たちも踊りを披露してくれます。
まずは「田打ち」、これは田植えの前に鍬で田を耕して、荒起しをすることです。素襖(すおう)を身に着け、鍬に見立てたチサの長い棒二本を持った六人の演じ手が、田んぼに見立てた大太鼓の周りを回ります。「ダアノセノセェノヤ」の囃子言葉で合いの手を入れ、足を軽く蹴り上げながら棒を撥のように太鼓の上に振り下ろします。この振りが田打ちの作業を模しているわけです。また「福の種」といって、福男が登場し、踊りの周囲を種を蒔く動作で回ります。
「田植え」は稲の苗に見立てた青杉葉を両手に持ち、太鼓を囲んで背中合わせに腕を組み、もみ合うようにします。次に太鼓から跳び離れて地面に苗を植え、また太鼓の周囲に戻って腕を組む、というような激しい動きを繰り返します。この合間にエブリを持ったエブリさしが現れ、大きくゆったりとした動作で踊りの円の周りを回ります。これは田を平らにして苗を植えやすくする作業を模しています。また昼持ちと呼ばれる、妊婦と娘に扮した二人が登場します。これは弁当を運んでくる様子を表わしています。
一つの踊りを十分程続けると、控えていた別の踊り手や地区の人たちが駆け込んで踊り手を胴上げします。かつてはめでたい事のあった家の者などを胴上げしていたそうです。
踊りが終わると、チサの棒や青杉葉の稲、菱餅は地区の人たちが持ち帰ります。
このだのせ踊りは本来は一日がかりの長いものですが,現在は省略して演じられています。
ひとこと解説。
『だのせ祭り』
だのせ祭りは中世の芸能にそのルーツが求められると考えられています。
若狭地方にはだのせのような芸能は知られていませんが、嶺北には同系統の田遊びの芸能が残っています。もちろん伝わったのは昔のことですから,それぞれに独自の発展をとげています。
かつてだのせ祭りは金山や沓見でも行なわれていたこともあり、敦賀はこうした芸能の北陸における西限だろうと言われています。
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