みんなの文化財 第35回 洲崎の高燈籠
最終更新日:2015年3月1日
洲崎の高燈籠
■第35回 洲崎の高燈籠
■旧笙ノ川河口の左岸、かつて洲崎の浜と呼ばれた海岸近くに石造りの高燈籠が建っています。享和二年(1802)に、船道頭(ふなどうがしら)を務めた廻船業者・荘山(庄山)清兵衛が建てたもので、荘山の高燈籠とも呼ばれています。
近世、敦賀湊への移入品は主として北陸・奥羽地方諸藩の米穀、次いで松前物と呼ばれた昆布、身欠き鰊(ニシン)、魚肥などでした。一方、移出品としては、美濃、近江、北伊勢等で産出したお茶が最たるもので、現川崎町一帯には茶商が軒を並べたことから茶町と呼ばれていました。その茶町の一角に居を構えていた清兵衛が、自邸・荘山屋敷の一隅に私費を投じて建てたのが、この高燈籠です。他に、船の出入りを望見するため、屋敷内に5間四方で2層(あるいは3層ともいう)の高楼を建てたことが史料に見られますが、早くになくなったようで現在その痕跡は残っていません。
この高燈籠は、底辺の大きさ2.3m四方、高さ7.46mで、台石を下から谷積みと布積みとで2段に高く積重ね、その上に火袋を置き、二重の笠と請花・宝珠を載せています。日本海側では現存する最古の和式灯台といわれており、敦賀湊の歴史を物語る遺産として福井県の史跡に指定されています。
■ひとこと解説
『高燈籠』
燈籠とは、本来は神仏に献灯するために建てられたもので、後に庭園の装飾などに取り入れられました。それとは別に町の辻燈など、照明用として建てられた高いものが高燈籠で、このうち港近くに建てられたものが灯台の役目を果たしました。